結局、信じるか信じないかは自分次第
最近、某研究所の役員が発信する創作論がいろいろと物議をかましてます。
自分も大喜利感覚で引用RTしてます。
個人的にあの人の言うこと9割ぐらい誤っていると思ってます。
たとえばこの記事を書いてる8/18最新のツイート
「男性向け小説で性暴力を匂わせるような表現を入れると、女性読者は嫌がる。 性暴力と暴力は異なる」
いや、男性向けなんで女性に視点を合わせる必要性ないでしょう。
ただ性暴力と暴力は違うというのは正しく、唯一頷ける点です。
まぁ性暴力の前に暴力が挟まるかどうかを考慮していない話ですが。甘ったるい。
でもこれらの創作論を「間違っていない」、「非常に勉強になる」と見る人もいます。
それはそれで良いと自分は思います。
別に視野が狭いと笑う話ではありません。
最初はそこから始めて、順々にステップアップして過去の自論になればそれでいいんです。
いわゆる少年誌や青年誌なんか区切りに似てますね。
アンパンマン見てリアリティ無いと憤怒する人いますか?
いても異端者として笑われるだけです。
この研究所も同じ。
ある程度、自分の創作論が整っている人たちが揃うTwitterにぶち込んだのが誤りで、小学生向けとかタイトル付けとけば問題なかったかと思います。
(いや、いらない知識をつけるなって怒る人が出るか?)
否定の言葉は大きく聞こえるものです。
ただ否定を否定してしまったら、それこそ同じ穴の狢。
信じるか、信じないかなんてその人次第なんですから。
ここで大事なのは他人に振り回されず、自分の答えを持ち合わせることだと思いますよ。
「みんなが否定しているから否定する」
「みんなが否定しているから肯定する」
なんて軽い話ではなく、ね?
まぁ、設定いらねーとか言ってる時点でこの研究所は何の研究をしているのか疑問視するんですけどね。
犬猫でも好き嫌いあるぞ。